笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字778は「虜」。戦争捕虜は悲惨なのだ

今日の漢字は「虜」。捕虜、虜囚、恋の虜(とりこ)。

 

    胡桃沢耕史の「黒パン俘虜記」を読む。太平洋戦争中に20歳だった著者は、満州に派兵されたが、敗戦と同時に捕虜として満州からモンゴルに連れていかれ、レンガの建物建設という過酷な労働を強いられる。しかも収容所を支配するのは、モンゴル人でもロシア人でも日本の軍隊でもなく、日本人の極道。刑務所を脱走し捕虜となったものの、上役の士官を下克上で張り倒し服従させ、士官の地位を得た。その非道な圧政のなか、黒パンと水しか与えられず、1日何十時間も極寒のなか過酷な労働に駆り出される。しかも健康や体調を害し、体力が無くなり、労働が不可となると、たちまち死に追いやられる。つまり用なさずとして極道士官に殴り殺される。そんな仲間の死を横目で見つつ、先の見えない不安の中で祖国日本への帰国を願いつつ、捕虜として悲惨で過酷な状況が筆者の視点で淡々と語られていく。

 

    各捕虜に配られる黒パンの量は少なく、皆いつも腹を空かせて飢餓状態。著者は何とか追加のパンをもらおうと、極道指揮官らの幹部におもねり、学生時代に見まくった映画を浪曲で語る余興芸を披露し、機嫌が良くなった極道幹部からおまけの黒パンを貰い、飢えをしのいでいた。学生時代に死ぬほど映画を見たため、シーンのほとんどを記憶できていたために、飢えから逃がれられた。それ以外の捕虜の兵士はとにかく少ない黒パンの配給に体が痩せこけ、栄養失調となり命がどんどん削られていく。中には、牛のように、胃から食べ物を戻し、再度咀嚼をする者まで現れる。一方極道幹部は、モンゴル側から与えられた肉をひとり占めし、太っていく。筆者は、いつ終わるともわからない労働のなか、とにかく生きて帰国することだけを希望の光として厳しい労働に耐える。

 

    また、彼は蒙古語が少しできたため、通訳として生きる道を模索し、モンゴルの幹部にうまく取り入る。そして何とか日本人の捕虜が過酷な労働で凍傷になった病人を収容、治療する病院に派遣され、雑事をこなしながら生きながらえる。しかしそれも長くは続かず、別の捕虜部隊の日本人捕虜が数多く死亡したことで、労働者が足りず、再び捕虜として別部隊に補充される。そこの収容所は極道幹部以上の非道な指導者がおり、本人は絶望的な気分となる。

 

    さらに過酷な労働に音を上げた彼は、ついに収容所から脱走する。しかしモンゴル兵に捕まり、万事休すかと観念したところ、終戦の引き上げで日本に戻る勅令に助けられ、無事日本へと帰国を果たすのである。

 

    以上があらすじだが、とにかく捕虜となった身分での労働の過酷さの描き方はおぞましい限り。ある捕虜が密かにカバンに入れていたカメラを極道幹部に売り、その代価としてもらった黒パンを夜中にひたすら食べるシーンがある。食べるのはいいが、普段食べていない胃にパンを入れすぎたため嘔吐し、そのまま死亡してしまう。それくらい悲惨な食糧事情を筆者はよくぞ耐え抜いたと感嘆するばかりである。いつ死んでもおかしくない生と死の狭間のなかで、ひたすら「生きて日本へ帰る」ことだけを念じて過ごす精神力は並大抵のものではないであろう。

 

    日本は国土が焼け野原になったり、沖縄ではアメリカの捕虜にならないよう自決した人々がいた事実は何度も報道されている。しかし、このように日本から遠く離れたモンゴルで捕虜として過酷な労働をさせられていた事実はなかなか明らかにされていない。私もこんなひどい捕虜実態があったのかと呆れるばかりだが、戦争というものは、食うか食われるかの最前線であるとともに、命の尊さは屁みたいに扱われる。そんな時代と比較し、今はそれらに比べると1万倍も幸せな時代なのだと噛み締めざるを得ない。こうした歴史の事実を伝える本は、もっと多くの人に読み継がれるべきだと思う。

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恋の虜になってみたいものだ