笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字690は「闇」。幸せのサイズを闇雲に広げないことだ

今日の漢字は「闇」。闇夜、暗闇、闇ルート、闇社会。

 

   幸せとは何か。これは人間が追求する永遠のテーマではなかろうか。

 

   脚本家の 山田太一氏は、「自分が心地よいサイズの幸せを見つける」という。自分の幸福のサイズは大きければいいというものでもない。

   そのサイズをどのあたりに置くかが、人間の器量にかかってくる。

 

    そしてそのサイズは、一人一人が違うものであるし、違って当たり前。要は人の気持ちの持ちようである。

 

   海外旅行に行くことが幸せだと感じる人もいれば、近所をのんびり散歩することで幸福感を感じる人もいる。お風呂あがりのアイスクリームに幸せを見いだす人もる。

 

   江戸時代以前、人は日々食べることに汲々としていた。天災で餓死することも当たり前。しかも疫病が流行れば直す薬すらなかった。6畳一間で家族4人が寝泊まりする長屋生活は当たり前。当時は狭いなどと文句を言う人はいなかった。

 

  そんな時代から見れば、今は餓死することは皆無で、健康保険で安く病院で病気を治せる。個室とまではいかないにしても、少し広い家に住むことができる。そう考えれば、大半は幸福の条件が揃っている。

   ただし、それはあくまで過去との比較。明日は今より豊かで幸せな人生が当然のごとく待っていると思うから、今に満足していない人が多い。要するに今の状態だけでは満足できないのが人間の性。そして今に満足することなく、新たな幸福の条件を探しだそうとしている。

    身近で言えば、子供は受験戦争でいい高校、大学に入ること、いい大企業に入ること。良縁に恵まれ結婚すること、子供に囲まれ過ごすこと、家族仲良く過ごすこと、出世すること、お金持ちになること。そういう人生の幸福のスタンダードと思われる価値観を中心に据えている。枝葉では、海外旅行に行く、グルメを食する、ブランド品を身に着け自慢すること等も幸福の一例として想起する。

 

   これらを持ったり経験したりいないと、いかにも不幸に感じられる。これらを成し遂げるために頑張ろうと日々煽り立てる。それにマスメディアとSNSが輪をかける。それに影響され、他者との比較において足りない自分を嘆き、「何て自分は不幸なのだ」と卑下する。インスタグラムがこれだけ流行るのも、「自分はこれだけ幸せな日々を過ごしています」と自己アピールする手段に過ぎない。自分の幸福感を他者に示すことで、他者との比較の中で自分の優位性に満足している。

 

   幸福とは本来、物が語るのではなく、心が語るもの。

   しかし他人に幸せな心をストレートに吐露すると、「何自慢しているのか」との批判を浴びるから、インスタグラムの写真という手段を使い、極めて間接的に心の幸せを反映させている。

 

   他人がどう思おうと、自分が幸せだと感じていればそれでいい。毎日の犬の散歩に幸せを感じればそれでいい。

   犬と旅行だとか、グルメだクルージングだなど、マスコミや口コミ、コマーシャルに影響されない心が大事であり、自分は自分でいられるかが強く求められる時代なのである。

 

   結局は自分の幸せのサイズを認識し、それを闇雲に広げようとしない、強い芯を持つことだと思う。

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都市の明かりにより、真っ暗闇という風景は無くなった