今日の漢字576は「司」。タモリ司会の「笑っていいとも」は希代のバラエティだった
今日の漢字は「司」。上司、司書、司法、行司、谷村新司。
昭和に残すべき希代のバラエティといえば、「笑っていいとも」。タモリが司会をするフジテレビ平日お昼の生放送番組で、1982年から2014年まで32年間続いた長寿番組である。
当時のフジテレビのキャッチフレーズ「楽しくなければテレビじゃない」をもじり、「楽しくなければお昼じゃない」で、お茶の間に笑いを届けていた。
何と言ってもこの番組の人気コーナーは「テレフォンショッキング」。
「友達の友達は皆友達。世界に広げよう友達の輪!」のかけ声とともに、友達を紹介していくもの。このコーナーは毎回楽しみに見ていた。私は大学生の頃、大概夜更かしした翌日は10時頃にのそのそと起き、「笑っていいとも」を見終わってから学校に行くという怠惰な生活を送っていた。社会人となってからは、番組自体見られなくなったが、たまの祝日の放送時にはチャンネルを合わせたり、日曜日の午前中に放送していた1週間のダイジェスト版「笑っていいとも増刊号」を見たりしていた。
この「テレフォンショッキング」は、元々、タモリが大ファンであった、タレントの伊藤つかさに会いたくて、「彼女まで交友関係をつなげてたどり着けるか」という企画から始まったもの。開始から約3年で念願の伊藤つかさにたどり着いたが、その後も人気コーナーは続行された。
こもテレフォンショッキングだが、紹介される翌日のお友達のタレントや役者の知名度・ネームバリューによっては、会場のスタジオアルタに流れる微妙な空気がテレビからも伝わってきた。はっきり言って知名度のないタレントが紹介されると、会場は一瞬の「間」が生じる。タモリも「あ~あの人ね」と知ってか知らずか適当に相槌を返すが、おそらく会場に流れる微妙な雰囲気は感じ取っていたと思う。
観覧に来ている観客も「今日は有名な○○さんで良かった(明日でなくて良かった)」と安堵していたかもしれない。私もテレビを見ながら友達で紹介されるタレントに「誰それ」という突っ込みパターンがよくあったし、翌日出るタレント次第では、「明日は見なくてもいいか」との消極的動機につながっていた。
当然裏では番組ディレクターとタレント事務所の綱引きがあって、「視聴率がとれるタレントかどうか」が検討されていたことは自明の理だと思うが。
しかしながら、出演するタレントの予想だにしない交友関係が垣間見られるなど、このコーナーは看板コーナーとして、笑っていともの屋台骨を支えた。このコーナーがあったからこそ、昼の時間帯で圧倒的に視聴率の高い番組として、30年間君臨し続けられたのだと思う。
そんな「テレフォンショッキング」でのハプニング。
1984年4月のこと。泰葉が、しばたはつみに電話したところ、間違ってとある会社に電話してしまい、電話を受けた一般女性に向かってタモリが「明日来てくれるかな?」との無茶な突っ込みに、その女性は「いいとも」と答え、翌日、本当に番組に出演。その人が次の一般人の友達を紹介し、2日にわたって一般人が登場するというハプニングがあった。
今なら考えられない展開だが、コンプライアンスや個人情報保護などの規制がゆるやかな昭和の時代。生放送だからできたということもあるし、そんなハプニングも笑って許せたバラエティ番組が毎日見られた幸せな時代があったのだ。それが冒頭、「稀代な番組」とした所以でもある。
タモリはこの司会で大ブレイクし、ビートたけし、明石家さんまとともに、芸能界ビック3の重鎮として存在感を増していく。奇天烈な笑いをとったり、キャラの立った存在というより、シニカルでニヒルな笑いを追及するクールな芸人であった。最近は「ブラタモリ」で博識を披露するなど視聴者に安らぎと安心を与える癒し芸人のような振る舞いをしており、それがタモリらしい。
今のお昼は、お金のかかっていない金太郎飴状態の情報番組ばかりで、テレビを見る気はしないが、笑っていいともは、強烈な個性と輝きを放っていた。生放送の進行、タレントのブッキング、さまざまな企画立案と、制作にはお金とマンパワーが相当かかったと思う。そんな丁寧な作りでお茶の間に笑いを届ける生のバラエティ番組はもう二度とないと思うが、その成功者体験がどこかで昇華し、斬新なテレビの企画につながっていかないものかと期待してしまうのである。
(参考文献「タモリ学」(戸部田誠)。