今日の漢字381
今日の漢字は「電」。電力、蓄電池、電線、発電、感電、電磁波、家電、電車、祝電、電撃ネットワーク。
公衆電話の記憶は、昭和世代には格好の飲み会のネタであろう。
30代以下は公衆電話など使ったことがないだろうが、50代以上の世代は、公衆電話=彼女、恋人と自分をつなげる唯一の連絡手段。恋人たちを繋ぐ命綱のようなものであったから、公衆電話が青春の1ページを飾っていたと捉える団塊の世代は多い。
昭和の時代、彼女との連絡は、自宅の電話か公衆電話しかない。
特に男が交際中の女性に連絡をする際、彼女が実家住まいであれば、もう大変。
とにかく電話をかけること自体が大きなハードル。それはなぜかというと、電話に出る相手が父親かもしれないから。そうなった場合、心臓が飛び出さんばかりに緊張し、慌てる。
友達は電話口に父親が出てきて、「どちらの鈴木さんで」と言われ答えに詰まった。
「鈴木は鈴木だろうが」と憤っていたが、父親が相手となると、そんな受け答えは日常茶飯事であった。だから私も公衆電話のプッシュボタンを押す時の緊張感は今でも鮮明に覚えている。逆に気が利く女性は、彼から電話が来そうなことを事前に察知して、父親に出させないようにしていた娘もいた。
私の場合は父親が出るケースが少なく、母親か本人であったため、まだ良かった。携帯電話の普及でもうあの緊張感を経験できないのかと思うと少し寂しい。当時、電話は男女がきちんと付き合うためのイニシエーションだったのかもしれない。
あと公衆電話の思い出は、とにかく待たされること。電話ボックスは街中にひとつしかないから、埋まっていれば、他を探すか、前の人が終わるのを待つしかない。
私が当時付き合っていた彼女と公衆電話で話していた際、私の電話が長かったのか、待っていたお兄さんがキレてドアを蹴り、「早くせんかコラー」と怒鳴られた。さすがに私も反省をし、そそくさと電話を切ったが、電話の順番を待つときの空虚さは相当あった。
東京に出張した際、夜渋谷駅の前を通ったら、10数台ある公衆電話にそれぞれ5~6人が列を作って順番待ちをしていた。都会は凄い、とそのとき思ったが、そんな光景もお目にかかることはない。
携帯電話の登場は連絡の取り方を劇的に変えたほか、男女の交際という方法も劇的に変えたような気がする。パーソナルになったことで、簡単かつ頻繁に連絡が取れるという大きな便利さを手に入れた。さらにメールやラインの登場で、待ち合わせでイライラすることも無くなった。文明の利器という意味ではこの時代に生きていることの有り難味を感じさせるが、携帯電話はこれからもまだまだ進化していくであろう。
発明や新商品の開発、経済発展によって無くなったものは数多くあるが、街角にまだポツンとある昭和の遺産の公衆電話が屹立している姿は微笑ましい。誰からも注目されず、いつも無人の公衆電話を見るにつけ、ノスタルジーの代名詞であるその構築物を、いつまでも残しておいてほしいと願うばかりである。