笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字641は「恐」。恐怖と記憶はリンクする

 今日の漢字は「恐」。恐怖、恐喝、恐縮、恐悦。

 

「あの時めちゃ怖かったんですけど」

「えっ何?」

    同じ会社で20年来の付き合いとなる知人女性とランチで話をしていた時のこと。

「私、〇〇さん(私のこと)とはそれまで全く面識がなく、電話で〇〇さんと初めて話たんです。その時の〇〇さんの電話の対応が滅茶怖くて緊張したんです」

「全然覚えていない。なんか変なこと言ったっけ」

「変なことはないんですけど、ちょっとぶっきらぼうというか、低くて静かな口調というか。対応がとにかく怖かったんです」

 

   私はそんな対応をしたことを全く覚えていないし、ぶっきらぼうな対応だったことを初めて聞かされたから、びっくりした。

    まあ彼女にしてみても本人に面と向かって怖かったとは言えないから、何年もの間秘匿し、ほぼ時効成立の20年ぶりになって内情を吐露したのかもしれない。

 

    人の記憶は曖昧と言われる。俗に記憶は1時間後に半分忘れ、1日後に7割忘れ、1週間後に9割忘れるようである。昨日や一週間前に食べた夕飯を思い出せないのは、そういうことだし、我々も夕飯の内容を覚える必要もない。脳の容量は決まっているから、そんなものまで記憶してしまうと、脳が疲弊してしまう。

 

    よく「大事なことはメモをとれ」教えられるし、その場で聞いて何もメモせずに記憶に留めるのは難しい。しかし恐怖心や、嬉しい、楽しい、驚いた、気持ち悪いなど、その時に抱いた感情とリンクするエピソードは、脳に記憶されやすいという。それは「レミニセンス・バンプ」という心理現象で、強い感情を伴う出来事は、記憶しやすく、思い出しやすい特徴がある。特に10代から30代にかけて、進学、就職、親元を離れる、恋愛、結婚と強い感情を伴うできごとが、しっかりと頭に刻み込まれる。それは中年以降になっても、強い感情を伴う経験は記憶に残りやすいのである。

 

    さきほどの知人女性の記憶は「私の電話での会話」の事象と、「私と話をしていて、私の応対が怖く、かつ緊張を伴った」という強い感情が結びついている。だから20年以上たつ今でもその時の恐怖心が記憶に焼き付いている。一方、私も彼女と電話で話をしたにも関わらず、何の記憶も残っていない。ただビジネスライクの日常会話だったとしか認識していないからである。つまり感情が伴っていない。

 

    そういう点で記憶というものは面白い。日常テレビタレントの名前が出てこないことはしょっちゅうある。先日も家族との会話で香川照之の名前が出てこなかった。「あれ、あの、おしまいですのタレント」という言葉は出てくるのに、具体名はさっぱり。それは健忘症でもボケはじめでもなく、当たり前の脳の反応である。

    しかし私が20年前に東京で偶然会ったタレントの片瀬那奈と一緒に写真を撮影したのは、今でも記憶に焼き付いている。それはおそらく、「タレントと写真が撮れて嬉しい」という感情とリンクしていたからこそ、今でも記憶しているのだと思う。シューイチに彼女が出るたびにそう思うし、彼女の名前が出てこないことはない。

    やはりどうでもいい記憶というのは、あっという間に忘却の彼方に捨て去られる一方で、喜怒哀楽の伴ったイベントは強く記憶に残るものなのである。

 

    おもしろい例をひとつ。妻は某若手女性タレントが大嫌い。いつもテレビCMで彼女が出ていると「また出てきた。大嫌い」と必ずテレビに文句をいう。私はそれを聞いていて、「〇〇というタレント=妻が嫌い」という情報が脳に刷り込まれており、決してその女性タレントの名前を忘れることがない。香川照之の「あれ、あれ」とは次元の違うレベル。これは極端な例だが、覚えるひとつの事例として、感情とリンクさせるやり方もあるのだなと妙に納得した次第である。

 

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恐山はなかなか神秘的