笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字336

今日の漢字は「返」。返事、返答、返り討ち、返還、返却、折り返し、繰り返し、裏返す、汚名返上。

 モヤモヤ日本史シリーズと勝手に名づけたこの回。日本史のなぜ?についてズブの素人の視点で考えてみる。今回は「中国大返し」。

 日本の歴史史上、最大の出来事かつ最もドラマティックな事件は、「本能寺の変」をおいて他にはない。織田信長が天下を統一し、政権を握っていれば、江戸時代もなかったのではないかというくらい、歴史の大転換となる事件であった。

 信長の家臣明智光秀は、信長とその息子信忠を同時に討ち取ったことで下克上を達成させ、信長の後継者として一躍天下人に躍り出た。しかしそれに待ったをかけたのが、豊臣秀吉。 

 豊臣秀吉は、謀反を起こした明智光秀を討伐すべく、その頃岡山の備中高松城と、京都から200キロ以上離れた所にいながら、3日で近畿に戻り、本能寺の変から9日後には山崎の決戦で明智軍を破った。俗にいう「中国大返し」が、その後の歴史を大きく塗り替えた。

なぜ秀吉がこれほど驚異的な早さで戻れたのかというのは、歴史学者がさまざまな説を唱えているが、私が思うのはこの3つ。

1.主君なきあと、秀吉の天下取りの野心が突然むくむくと持ち上がってきた

2.本能寺の変及びその後の明智の動向を的確につかんでいたこと。つまり情報が素早く正確に入ってきた。(そういう情報網が整備されていた)

3.明智が朝廷を抱き込んだり、将軍足利義昭を迎えて幕府を再興すると、逆転が難しくなる。動くなら今だとの素早い決断力。

があったのではなかろうか。

 秀吉にとって僥倖だったのは、そもそも明智軍が毛利軍と対峙する秀吉軍を助けるため、近畿から岡山に至る途中経路に武器弾薬、食料、わらじなどを事前に配備していたので、秀吉がそれを逆に活用できたこと。何千人もの騎馬隊、足軽らを一気に移動し得たのは、ロジ回り(後方支援)がしっかりしていたのだ。

 一方、明智光秀の一番の誤算は、戦を実行中の秀吉が、まさか毛利と講和を結んで帰ってくるとは夢にも思わなかったこと。ただでさえ、戦は膠着状態で、まさに自分が秀吉を助けにいく予定であったわけだから、毛利が簡単に講和に応じるわけがないと思ったことであろう。秀吉と毛利がにらめっこをしている間に足場を固める戦略が取れなかったのは、まさに想定外だったことだろう。

 信長の油断が本能寺の変を招いたとしたならば、光秀の誤算は、毛利氏が秀吉の講和条件をあっさり飲むはずがないという読みの甘さだったのである。

 歴史に学ぶ教訓は、秀吉のように素早い決断と、確かな自信、正確な情報、相手の戦力分析、天下を取るという強い野心が勝利や成功に導くということ。信長や光秀のちょっとした油断や慢心、最悪を想定しないリスクマネジメントの欠如が失敗や崩壊につながるということ。

   これらの教訓は今の社会でも当然のように当てはまる。

   天正10年6月の2つの大事件が今でも我々の心を動かすのは、当時の武将たちの行動が、今の社会生活を営む上で学びにつながる多くのことを伝えてくれているからだと思う。

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好意の返報性という心理学用語が好きである