笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字525は「待」。電子レンジの前でぼーっと待つのは是か否か

今日の漢字は「待」。待望、期待、待合室、歓待、招待、待つわbyあみん。

 

待つということは難しい。

 

    ある知人女性「うちの主人なら電子レンジでモノを暖めている間、ずーっとそこで突っ立って待っているのよ。何もしないで。信じられる?」

    私も電子レンジで待つタイプなので「え」っと聞き返した。

「だって、電子レンジで物を暖めている間に、他の食材を冷蔵庫から取り出したり、皿洗いをしたり、食卓にご飯を運ぶなど、やることはたくさんあるはず。それなのにぼーっと1分も2分も待つことなど有りえない」というのだ。

 

    待つことで何が悪い。その瞬間思索にふけってもいいのではないか。とは私は反論できなかった。

 

  「2分もあればできることはたくさんあるの。だからぼーっとつっ立っている人を見ると腹が立つのよ」とご主人への批判は止まらなかった。

 

    たしかに食事時は忙しい。時間を効率的に使う主婦は、1分1秒たりとも時間を無駄にしないよう、脳に組み込まれているのかもしれない。

 

    ぼーっとするなら、暇な時にやれというのは正論である。

 

   一方、携帯電話の登場で「待つ」ということが無くなった。

 

   この前本屋の前を通りかかると、彼氏が彼女に平謝りしている姿が目に入った。おそらく彼が待ち合わせ時間に遅れ、彼女は仕方なく本屋で時間をつぶしていたのだ。

   男が手のひらを合わせて観音様のように合掌する姿を久しぶりに見た。

 

    今はラインでやりとりできるから、彼の「少し遅れる」とのラインに、彼女は「それじゃあ本屋で待ち合わせね」と返事し、彼女は待ちぼうけを食らうことなく、本屋で時間を潰したのであろう。

 

   これが携帯電話登場前では、ひたすら待ち合わせ場所で待つしかないという光景が広がる。

「○時に○○前で」と約束すれば、相手が早く来ようが遅く来ようがそこで待つしかない。待てどくらせど来ない彼と時計を睨めっこし、「来たらどうやってとっちめようか」と思案するのが常套手段。その反面、「来なかったらどうしよう」という不安要素があったのも事実。付き合い始めの頃なら「振られたのかも」と疑心暗鬼にならざるを得ないシチュエーションであった。

 

   翻って現代。「今、どこ」とラインを打って、「○○。もうすぐ着く」と返事が来れば、イライラすることもなく、ましてや、かなり遅れるのであれば、「じゃあ○○にいるからそこに来て」と彼女はウィンドウショッピングやカフェで時間を有効活用することができる。

 

    待つイライラと無縁の世界を我々は生きている。

 

   その昔、昭和の時代は駅に伝言板というものがあった。

例えば「A子。○○の家に先に行っています」などと書いてあると、ああ彼女は駅で待ち合わせずに、先に○○家に向かったのだと理解したり、

「B子。○時○分の電車で先に行っています」と書いてあれば、待ち合わせに遅れたから先に行ったのだなという予測をして対応していた。

 

   伝達手段が伝言板というのも、「どれだけ昭和か」という感じであるが、電話も固定電話と公衆電話しかない時代、限られた情報伝達手段で非効率的に連絡を取り合っていたのだ。

 

   そういう意味では、携帯電話はインターネットとともに、21世紀前半の栄えある2大発明に数えてもいいのではないか。

 

   ただ、待つという機会が少なくなってきて、それがラインの既読スルー批判のように、「すぐに返事を待つ」という、「待てない症候群」の人々を輩出していないか心配である。

 

   ネット情報もそうだが、すぐに情報が収集ができる時代。企業のコールセンターなどで「調べて連絡します」とか「少しお時間がかかります。」などと対応されるとキレて、「はよせんかボケ」と悪態をつく人々が主流を占めないことを祈るばかりである。

 

   あまりに世の中が便利すぎて、逆に心がセカセカして、いつも余裕のない人になりはしないか。昨日の「その1秒をけずりだせ」の主張と若干矛盾はするものの、時に、電子レンジの前で何も考えずにぼーっと待つ心の余裕があってもいいと私は思う。

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虐待はいけないことだ