笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字524は「秒」。その1秒をけずり出せ

今日の漢字は「秒」。秒速、秒針。

 

「その1秒をけずりだせ」

   東洋大学陸上競技部が以前、箱根駅伝に臨むにあたって掲げたスローガンである。

 

   一人が1秒を縮めれば、10人のランナーが10秒短縮できる。それが積み重なれば箱根駅伝を制覇することができるというロジックは単純で明快。2011年の箱根駅伝早稲田大学に21秒差で負けた反省から、一人ひとりが1秒を大事にせよとう意図で、酒井監督が考えたものである。

   

    誰しもが少しでも速く走りたい、ライバルより1秒でも速く走りたいというのは、チームの共通認識。その義務と責任と強い気持ちを想起させる意味において、このスローガンは秀逸である。「縮めろ」でも「ひねり出せ」でもなく、「時間をけずる」という概念がとても日本語的表現であると思う。

 

    我々は普段、時間との戦いということをほとんど意識しない。学校や会社生活など一定のルールで時間に縛られてはいるが、基本的に時間は自然かつ無意識に流れていくもので、1分1秒が惜しいという感覚を持つことはまずない。

 

   しかし、これがマラソンとなると、時間にシビアになるから不思議だ。

 

   私は以前、市民ランナーとしてフルマラソンの大会に何度か出場したことがある。

   初心者のマラソンランナーがまず憧れるのは、フルマラソンで4時間を切ること、いわゆるサブフォー

 

    このレベルまでいけば、ほぼ中級レベルを自認できるし、ランナー仲間にも自慢できる。この壁を越えるか超えないかは、初心者ゴルファーが100を切ると同じくらい、ランナーにとっては重要な時間軸なのである。

 

   今でも忘れられないのは、サブフォーを達成した瞬間のこと。

    マラソン大会に出場した私は、初のサブフォーを目指し練習を積み、本番では順調にタイムを刻んだ。しかし35キロを過ぎてから一気にペースダウン。太ももやふくらはぎに乳酸が溜まり、筋肉はカチンカチン。思うように足が進まない。それまで1キロ5分40秒ペースで進んでいたラップが1キロ7分台まで落ち込み、焦った。

 

  40キロの計測地点にはデジタル時計があり、この時点で3時間45分を指していた。

    あと2キロで15分は余裕だろうと思いきや、やっぱり足が進まない。腕のストップウォッチと何度も睨めっこするが、意識がだんだん朦朧としてくる。

 

   もうひと踏ん張り。ゴールが見えてきた。ゴールのデジタル時計を遠くから目を細めてみると、3時間58分と読めた。あと数十メートルが地獄のように長い。・・おー何とか間に合ったー。最後の力を振り絞ってゴール。3時間59分01秒でフィニッシュ。サブフォーを達成した瞬間であった。

  

    この時ほど1分1秒の重みを感じたことはなかった。

3時間59分59秒と4時間00分01秒ではランナーにとって雲泥の差。後者はたった2秒に泣くことになり、ショックは想像を絶するものがある。

 

    マラソンをしない人なら「そんなくだらない」と鼻で笑われそうだが、孤高のランナーにとって時間は友達であり相棒でありライバル。要するにマラソンは球技のように相手に勝つ競技ではなく、「時間との闘いに勝つ」という、とてもマニアックな競技なのである。

 

   人間が生み出したマラソンというヘンテコな競技は、「ひとりで42キロも走って何が楽しいのか」というのはあるが、時間の重みと大切さが実感できる瞬間であることは間違いない。

 

   だから、「その1秒をけずりだせ」と檄を飛ばす気持ちは痛いほどわかる。苦しいことはとても苦しいが、腕を振る、ストライドを伸ばす、呼吸のピッチを上げるなど、遮二無二チャレンジして1秒でも早く走る。後で笑顔になれるよう、今苦しめというストイックなメッセージなのだ。

 

    ただ、日々のほほんと過ごして、マラソンの時にだけ時間を意識するというのは勿体無い。今、こうしている間にも1分1秒は無為に過ぎている。時間は有限かつ全ての人間に平等。だらだらとくだらないことに時間を浪費するのではなく、時間を無駄にしないよう、日々の生活においてもマラソンのように時間の重みを意識して過ごせば、もっと充実した生活が送れそうな気がする。

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スタート前の秒読みは、ワクワクする