笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字1001は「影」。オリンピックの影の立役者

今日の漢字は「影」。影響、影絵、撮影、人影、魚影、影法師。

 

 冬季北京オリンピックで連日、アスリート達の活躍の様子が伝えられている。そのなかで、金メダルを獲得した選手の記憶はいつまでも残るが、銀、銅メダル、入賞選手の記憶は金メダリストほど記憶に残らないのも事実。しかし、金メダルは獲っていなくても、金メダリスト以上に有名になりすぎて、「記録よりも記憶」としていつまでも語り継がれる選手も多い。そんな選手を取り上げる。

 

 1972年に行われた札幌オリンピック。私が小学生の頃で、ほとんど記憶に残っていないが、この時、一躍「時の人」となったのは、女子フィギアスケートのジャネット・リン(米)。演技では尻もちをついてしまい、銅メダルに終わる。しかし失敗しながらも愛くるしい笑顔で演技をし、その姿が観客のハートを掴んだ。すっかり観客を魅了した「氷の妖精」は、連日メディアでも大きく取り上げられ、ジャンプの「日の丸飛行隊」とともに札幌オリンピックの代名詞にもなった。いまだに北海道の60代以上の人は、ジャネット・リンの名前が深く心に刻まれているであろう。ちなみに彼女は選手村の部屋に落書き「peace love +life」を残した。そしてそのあと選手村が一般のアパートに分譲され、移り住んだ歴代の住人は、ジャネット・リンに敬意を表し、ずっとその落書きを残しているという。素晴らしい配慮である。ちなみにこの時の金メダリスト、オーストリアのシューバ選手は誰も知らない。

 

 リレハンメル五輪は1994年。この時はトーニャ・ハーディング事件があった。アメリカの代表選考でライバルのナンシー・ケリガンを負傷させ、オリンピックに出られなくなるように仕向けた陰謀で、その後大スキャンダルに発展。全世界を敵に回したトーニャは、当の五輪で実力を発揮できず、メダルを逃す。しかしそれまでのお騒がせの素行が大きな反響で、これまた悪い意味で記憶に残る選手となった。ちなみにライバル、ナンシー・ケリガンは銀メダルを獲得。金メダルはバイウルというウクライナの選手だった。

 

 最後に日本人。長野オリンピック男子ラージヒルは金メダルに船木和喜、銅メダルに原田雅彦が輝いた。ヒーローは船木なのだが、原田の物怖じしない、明るいキャラクターがメディア受けし国民的ヒーローに。ラージヒル団体で奇跡の逆転優勝の立役者も原田となり、2個の金メダリストとなった船木を凌駕する人気を得た。寡黙で物静かな船木との対比の中では、どうしても原田がスポットを浴びる。長野五輪と言えば原田が涙目で船木の大ジャンプを懇願する「ふなき〜」が代名詞となった。原田も団体では金メダルだったとはいえ、間違いなく金2個の栄光は船木にある。しかし今もジャンプ業界で解説者などで活躍する原田は「記録よりも記憶に残る」影の立役者だと言える。

 

 オリンピックで好成績を上げると一気にスポットライトを浴びる反面、期待した結果を得られなかった選手は、マスコミは無視するかのごとく手のひらを返す。その一方で、本大会で活躍できなくても、何かのきっかけで人々の記憶に残り、いつまでもテレビで活躍する人もいる。こればかりは運なのだろうが、多くの選手のその後を見るにつけ、決してオリンピックだけでその人の価値が終わるわけではないことを、我々は理解しておかねばならないと思う。

 

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資料を投影するOHPを知る人も少なくなった