今日の漢字902は「街」。埼玉は寝る街ではない
今日の漢字は「街」。街路樹、住宅街、繁華街、街角、街灯。
埼玉県。二階堂ふみ主演の「翔んで埼玉」が大ヒットして、俄然脚光を浴びた感のある埼玉県。しかしいつまで経っても東京都の属国という点は拭えない。私の中学生時代に流行った歌が、さいたまんぞう氏による「なぜか埼玉」。もの悲しくも地味な歌詞は、なぜか当時受け、多くの人が口ずさんでいた。すでに埼玉人の自虐的な心はこの頃から宿っていたのかもしれない。
しかし昭和の言葉ととに、抹殺したい言葉がある。それは、「ベッドタウン」。埼玉県=東京のベッドタウンと、すっかり代名詞だが、考えてみれば失礼な言葉である。「寝る街」。そこには日常生活を営む母親を含めた家族や、普通に学校に通う子供たちがいる。それを、東京に勤務する男性の視点で「寝るだけの街」とは、本当に失礼な言い方で、東京視点の上から目線に他ならない。幸い、最近はテレワークの普及で、ベッドタウンという言い方も薄くなりがちではあるが、昭和とともに置き去りにしていい言葉である。
さて、そんな埼玉。「ダサイタマ」とか「個性がない」とか「観光名所がない」とか何かとネガティブイメージの埼玉。個人的には小京都川越、西武ドームのある所沢、さいたま市の交通記念館などに行った。総じて悪いイメージはない。そして何といってもサッカーのイメージが強烈。それは浦和レッズが存在するから。
さいたま市にある浦和レッズ。合併前の浦和市時代のネーミングを使用しているのは、同じように合併前の市名を使う大宮アルディージャとの差別化のため。静岡市と清水市が合併して清水市が消滅しても今なお清水を名乗るエスパルスと似た構造である。
1990年代、レッズは弱く、球界のお荷物と言われた。2000年にはJ2降格にも降格。あまりの弱さに日本一のサポーターを標榜するレッズサポーターは殺気立っていた。負けたレッズの選手が乗ったバスを取り囲んだり、スタジアムで発煙筒を焚いたり、心無い横断幕で対戦相手を挑発したり。当時イングランドで流行っていたフーリガンさながらの不貞行為の数々を行い、鼻つまみ者と気嫌いされていた。しかも当時J2のレッズは1年でのJ1復帰が至上命題。そんな殺気立ったスタジアムの象徴が、レッズの本拠地浦和駒場スタジアム。さいたまスタジアムができる前の陸上競技場である。
そこで2000年、我がコンサドーレ札幌と浦和レッズがJ2で対戦するとあり、札幌の熱狂的サポーターである友人と勇んで駒場スタジアムに応援に行った。駅からスタジアムまでの道のりはレッズサポーターだらけで、緊張する。コンサドーレのユニフォームを着ていようものなら、挑発的な言葉が飛んできそうな雰囲気。だからとにかく足早でスタジアムに向かった。
アウエー立ち見席に陣取り、ようやくコンサユニに着替える。アウエー席はコンクリートで囲まれていて、札幌サポーターはぎゅうぎゅう詰め。アウエーサポーターにとっては悪名高きこの「出島」と呼ばれるアウエー席にサポーターを閉じ込め、応援力を削ぐ意図がミエミエな構造である。
それでもめげずに試合が始まって声をからし、札幌の選手を後押しした。
試合は、札幌が勝利。難敵レッズを下してほっとするのも束の間、友人は早速ユニフォームを脱いだ。「札幌だとわかると何されるかわからないから、とっとと帰るぞ」といい、勝利の余韻に浸る間もなく、スタジアムを後にした。
そんな駒場の思い出が「埼玉」という言葉に宿る。浦和レッズはその後豊富な資金力で強豪チームとなり、いつしか常勝軍団に。それと同時に過激なサポーターも激減した。私の友人にレッズサポーターがいるが、確かに「昔と比べて全体に大人しくなった」とのこと。出来の悪い子供ほど可愛いというが、優等生になった子供には、感情を高ぶらせることなく接する親心のような気がする。
個人的には、さとり世代が主流となって、サッカーに対する渇望感、のめり込むような感覚が薄れているのが理由ではないかと思ってしまう。