今日の漢字805は「掌」。掌返しの日本のメディアは終わっている
今日の漢字は「掌」。合掌、掌握、車掌。
東京オリンピックが開幕し、連日中継が続く。情報番組も案の定、「やった、勝った、金メダル、日本が感動」のオンパレード。どれだけ五輪に時間を割くのかというくらい、ガンバレニッポンモードである。
ついこの前までは、「これほどコロナの感染者が増え、オリンピックに反対する人が多数」「多くの人が中止にしてはの意見」「バブル方式などで感染者が減るはずがない」「政府の五輪強行姿勢に疑問噴出」など、批判的報道のオンパレードだった。
それが五輪が開幕し、日本選手が活躍し始めた途端に、掌を返すように「感動をありがとう」モードにチェンジ。節操のないテレビ局の姿勢に、呆れる以上に絶望的な感覚に陥る。日本のテレビ局は、結局は視聴者におもねるだけの何のポリシーも理念もない、視聴者の御用聞きメディアに成り下がっている。
一時期、テレビの世界では、あまりにも視聴率至上主義で問題ありとして、視聴質に拘ってはどうかとの提案がなされたことがある。しかしテレビ番組の「品質」はあくまで主観であり、品質がいいかどうかなど、誰も判断できない。議論は再び視聴率に戻り、昭和に考え出された手法がいまだにまかり通っている。人々の多様な生活スタイルの変化に対応できなければ、発展性も全く無い。
それにつけても、オリンピックのように、組織委員会、メディア、スポンサー、広告代理店がつくビックスポーツプロジェクトは、圧倒的にテレビの力が強い。アマゾンやらネットフリックスやCS放送、ユーチューブなど、普段はテレビを凌駕しているメディアも、オリンピックの前では影が薄い。これだけオリンピック中継を物量で展開されると、テレビに注目がいくのは自然の流れ。オリンピック開催の影にはアメリカのNBCが巨額の放送権を払っていることもあり、まさにテレビ利権が渦巻くビックイベントだと改めて感じる。こうしたイベントは、テレビ離れの若者をテレビ回帰させ、また、テレビの素晴らしさを改めて認識させる、まさにテレビ復権の一大イベントにも映る。
しかし、このビックイベントが終わると、何事もなかったかのように若者は再びテレビ以外のメディアに戻るであろう。結局オリンピックという強力なカンフル剤を打ったとしても、その効果は大会期間中しか通用しない。また毎日のつまらない番組のオンパレードに、そのギャップの大きさに若者は余計にテレビから離れていくだろう。
ひょっとすると、オリンピックも、サッカーの欧州選手権やUEFAチャンピオンズリーグのように、スポーツ専門チャンネルで独占的に放送する時代が来るかもしれない。庶民はスカパーやDAZNのチャンネルに加入しないと、オリンピックやワールドカップが見られないとするならば、これはもう商業主義の極致。視聴料が払える人だけが楽しめる、ブルジョアのためのオリンピックになるのではないかと危惧している。