笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字742は「邦」。田中邦衛が輝いた時代

今日の漢字は「邦」。邦画、邦楽、異邦人、連邦。

 

   銀幕のスターが活躍した1960年代。昔の映画は、厳しい現実を忘れさせてくれるファンタジーであった。

   観客は手の届かないはるか遠くの銀幕のスターに憧れ、また、高価な服やブランド品を身に着けたマドンナを見たくて映画館に足を運んだ。それは大衆のほとんどが貧しい時代であり、着飾ったり、持ったりできないできないことへの憧れが強く反映された社会。石原裕次郎がスポーツカーで疾走するシーンなどは、若い女性のハートを鷲掴みにしたことであろう。

 

   しかし娯楽が増え、大衆が裕福になるにつれて、大衆は「非日常」を求めなくなった。1960年代以降は、憧れから共感に映画を見る目線がシフトする。つまり普通のどこにでもいるような若い男女が恋に落ち、さまざまな困難を経て結ばれるブストーリーを見た観客は、自分を重ね合わせ、それに共感する。

 

   ALWAYS3丁目の夕日という映画があったが、まさにあの映画は、古き良き時代を思い起させ、共感させるストーリー。派手なヒーローもいなければ、大きな事件もない。ちょっとしたエピソードでつづられる話は妙に現実に近いから、団塊の世代はノスタルジーに浸り、感動した。共感を呼び込めば呼び込むほど映画がヒットする仕組みになっていた。だから石原裕次郎小林旭高倉健など往年の大スターが一人で映画の大きな要素を占める時代ではなくなった。

 

   そんな中において、その人がいないと映画やドラマそのものが成り立たないという最後の大御所が田中邦衛ではなかったかと思う。

   フジテレビ「北の国から」は、田中邦衛がいなければ成立しないドラマ。決してヒーローではない無口で地味な田中であるが、画面での存在感は圧倒的。懐の深さは黒板五郎の右に出る者はいない。吉岡秀隆など家族とのつながりという点で共感という要素はあるものの、「北の国から」は、田中邦衛の一挙手一投足が織りなす一大抒情詩だった。すべての役者をわき役に押しのけて輝く時代のヒーローとして描かれていた。

 

   田中邦衛が亡くなった以上、2度と「北の国から」は見られないが、続編を他の役者で見たいとも思わない。自給自足で自然とともに生きる田中の姿は、人類が忘れた「生きる基本とは何か」を思い出させてくれるし、文明崇拝へのアンチテーゼを倉本聡は描きたかったのだと思う。ドラマのたびにそのメッセージを明確に伝えた創作力には脱帽するしかない。

f:id:laughing-egao:20210525174924j:plain

本邦初公開の映画