笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字725は「窟」。鳥島を洞窟探検

今日の漢字は「窟」。洞窟、石窟、巣窟、岩窟王。

 

しつこいくらいに江戸時代の漂流。今回は現代における鳥島探検記。今回読んだ本は、「漂流の島」。

   これを書いた探検家の高橋大輔氏が、江戸時代の漂流民が過ごした鳥島の洞窟を探検するというルポ。世の中にはいろいろな変人がいるものだと呆れるが、好奇心を持ってさまざまなことにチャレンジする姿は見ていて清々しさを感じる。

 

   そんな高橋氏が目指す鳥島は、アホウドリが天然記念物に指定されている関係もあり、一般人は上陸禁止区域。今も昔も無人鳥島ではあるが、江戸時代は漂流民が過ごした確かな足跡がある。高橋氏によると、漂流の歴史がまとめられた「日本人漂流記」では、八丈島への漂着船は18~19世紀で200件近くもあった。八丈島には江戸時代は住人がおり、流罪者もいたというから、本土とも交流があり、帰還も容易だったであろう。一方鳥島の記録は1681年からジョン万次郎が漂着した1841年までの160年間で13の事例があるという。漂流民は無人島の洞窟で雨露を凌ぎ、渡り鳥のアホウドリを食べて生き延びた。

 

   高橋氏が洞窟に興味をもったのは、鳥島の洞窟に漂流者の何らかの痕跡を見つけることはできないかという好奇心から。鳥島は火山の噴火が何度かあったが、彼はほとんど手つかずの知られざる痕跡を求めて上陸の機会を待ちわびた。彼はたまたま島での土木工事に随行する機会に恵まれ、洞窟探検が実現した。

 

   結論を言えば、彼は漂流民の痕跡のある洞窟を見つけた。鳥島は江戸時代以降も何度か大噴火を起こしており、その時の溶岩流の影響で、漂流民がいた洞窟の形状もかなり変わったようだが、彼はさまざまな文献や地図、現地の洞窟をつぶさに観察し、最後に漂流民がいた洞窟と結論づけた。残された遺品類はなかったが、1700年代に土佐の長平たちが使った洞窟に巡り合えたことに彼は感慨にふけるのであった。

 

   火山島のごつごつした岩肌や溶岩地帯を、地図を頼りにひたすら洞窟を探すという行動もマニアックだが、昔の人が何年も過ごした痕跡をこの目で見つけたいという執念は、探検家ならではの思いなのかもしれない。遺跡発掘などもそうだが、歴史のロマンは何も小説だけの世界で感じるのではなく、実際に現場を見て肌で感じとることなのだと、この本を読んで感じた。

高橋氏の記述に次の表現がある。

「好奇心には限界などない」。

    考古調査に没頭する彼の姿を見て、それは人間が求める真理なのかもしれない。そして好奇心は無限だと思って活動する人が、新たな発見や発明をしたり、創造したり創作したり、探求したりする。好奇心が人間をつき動かしていることは、歴史が証明している。

 

   好奇心は人間をつき動かす原動力なのだ。

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悪の巣窟には足を踏み入れたくない