笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字718は「孤」。孤島で一人で暮らせるか

今日の漢字は「孤」。孤独、孤立、孤高、孤軍奮闘。

 

   吉村昭氏の「漂流」の感想をこのブログ書いたのち、江戸時代に孤島に漂流した人々のことを再び思う。

 

laughing-egao.hatenablog.com

 

 

   1785年の江戸時代に鳥島に漂流した土佐の長平らは、水も植物もろくにない火山島で、飢餓感に苛まれてながら命をつなげた。その精神力は尋常ではなかった。しかも長平は、同僚3人が次々と死んだのち、1年半をたった一人で生活しており、発狂してもおかしくない状況だったと思う。

 

   実は鳥島に漂流した漂流民は、記録に残っているだけで6例ある。例があるというのは、つまり島で生き延びて何らかの手段で故国の土を踏み、幕府に漂流の顛末を報告し、それが記録に残っているからに他ならない。しかしその裏には、鳥島に辿り着いても全員が朽ち果てるか、または島にたどり着く前に荒波に翻弄され、船の沈没とともに海の藻屑と消えた例はその数十倍はある。それらの漂流は記録に残されていないから、実に相当数の遭難者がいたことが想定される。

 

   現代にたち帰れば、もし仮に漂流し救出されたとしても、その実態はつまびらかに明らかにされ、自衛隊や消防などで記録として残され、危機管理事例として関係者間で情報共有される。さらに原因と対策を練り、再発防止として二度と漂流させないように対応を立てる。船の所有者もそれは同様。それはすなわち乗船者の命を守るという基本的姿勢がある。

 

   しかし江戸時代は人権保護などという意識がない。当時は鎖国をしていたから、日本を離れ漂流した人民は異国を目指したとして見られ、たとえ帰還してもキリスト教に改宗していないかなど厳しい尋問が行われた。いわゆる漂流民は罪人同様とされ、当然ながら漂流した実態は情報共有されることなく、闇に葬られた。再発防止や対策など立てられるわけもなく、結局は「漂流した者が悪い」と断罪されて終わりという結末であった。

 

   孤島に着いて自力で脱出できた人はいいが、中にはさらに北方ロシアのカムチャツカに漂流した人々は、土着民との交流はあるにしても、故国に帰ることは非常に厳しかった。中にはキリスト教に改宗して現地に骨を埋める覚悟で日本語教師となり、その地で亡くなった人も多い。大黒屋光太夫のように、シベリアからペテルブルグまで移動し、皇帝に謁見して帰国を果たすというのは非常に稀な例だともいえる。

 

   本土から約600km南にある鳥島は現在、船で行くことは全く問題はないが、生息するアホウドリが天然記念物に指定されているため、一般人の上陸ができない。明治期には開拓のために人が入植したり、アホウドリの羽が重宝されて乱獲された歴史もある。しかも鳥島は火山島で何度か噴火し、明治には噴火により開拓民が全員死亡という悲劇もあった。そのような自然の厳しい島で江戸時代の漂流民たちはひたすら故国への帰還を夢見て過ごした。諦めずに孤島で生き抜いた精神力には本当に感嘆するしかないが、もし当時、北前船などで使う帆船が外洋航路にも適した船であったならば、漂流という悲劇はなかったはずである、そういう意味では、漂流民は悪政に翻弄された悲劇の人々と言えるかもしれない。

f:id:laughing-egao:20210501190342j:plain

孤立無援にはなりたくない