笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字668は「南」。ブログの指南をいただこう

今日の漢字は「南」。南雲、南無、南瓜、南極、南国、南青山、南山大学

 

読ませるブログ(樋口裕一)を読んだ。

 

    今まで全く自己流のブログを書いてきたから、ここらで一旦刺激を加え、さらなる飛躍に導きたいとして、樋口氏からご指南いただこう。

樋口氏の主張1

「文章を書くことで、思考力を身に着け、社会や人間を見る目が養われる」

⇒確かにこのブログを書き始め、毎日ネタを絞り出すためにさまざまな情報を拾うようになった。その視点とは、「その情報はブログのネタになるか」。

例えば、「今日はカレーの日」とテレビで紹介されていれば、「カレーライス」の切り口と、「1年のうちの今日は何の日」という2つの切り口が想起できる。テレビを見る前までは、カレーライスというワードは頭の中になかったから、「カレーにまつわる思い出はないか」を考えるようになった。ありそうだったら、一旦思考を止め、ネタノートに「カレーの思い出」とだけを記載し、いつか深く思考しようと、寝かせる。今までは思考しておしまいだったのが、ブログでの情報発信というアクションを前提に「何を書くか」のアウトプット重視の考えとなったから、やはり文章を書くというのは、思考力を高めるとともに、情報に敏感になると感じた。

主張2

「人間が体験した物事は書かれて初めて事実になる。人間が書き残し発表するという行為は、自分の存在を不滅にし、世界中に知らしめる行為である」

⇒ブログの登場によって、これは現実的となった。それまでは書物で発表したり、雑誌に投稿したりする範囲は狭くかつ限られていた。要するに日の目を見るのは作家やエッセイストなど一部の特権階級に限られていた。それが、誰しもが世界の不特定多数の人に対し、自分の思いや考え、経験を発表できる時代となった。読まれる強弱や大小は別にしても、肩書や経験、バックボーンがなくても情報発信できるというのは、すごくいい時代だと思う。

主張3

「ブログを書くことによって、別の自分を発見できる。また、テーマを探す発見力、面白いニュースに反応する受信力、人のちょっとした動きも見逃さない洞察力が身につく。また、レベルが上がれば身の回りの出来事を面白おかしく伝えるユーモア力も養われる」

⇒ユーモア力は頭が痛いところだが、洞察力は身につくような気がする。例えば、「ちょっとした心温まる人の振る舞い」を考えていた時に、「そういえばこの前乗った飛行機の出発時に、駐機場で手を振る整備員と地上業務員の女性がいたな」が思い起こされた。何も考えていなければ記憶にも残らないが、手を振る男女の係員は「〇〇航空に乗ってくれてありがとう」、「旅の安全を願います」のメッセージが込められていたように映る。それをブログのネタにしようという下心もないわけではないが、ちょっとしたことに気づくセンサーは研ぎ澄まされているように思える。

主張4

「中高年は引き出しが多く、自分で当たり前と思っていた経験が実は世間に驚かれる」

⇒確かに一時期メディア関係の仕事をしていたことがあったから、「どんなCMを作った」とか「どの芸能人に会った」など、仕事では当たり前に経験していたことが、実は他人には面白いということがあるかもしれない。しかし書き方によっては自慢に聞こえるし、面白くないと自分では思っている。経験という素材をいかに料理して、面白く見せるかはテクニックのひとつだが、確かに中高年は若い人に比べて経験という引き出しは多い。過去を振り返り、記憶を呼び起こすだけでもかなりネタは出てくるし、脳の中に眠っていた記憶が呼び起こされる例もある。それをいかに共感にもっていくかは難しいところだが、ひとりよがりにならないことを心がけていきたい。

 

樋口氏のブログ指南はまだ続くので、今度また続きを書こう。

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レミオロメンの「南風」は好きな曲だ