今日の漢字635は「寺」。本能寺の変は日本史上最大のミステリー
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」がいよいよクライマックス&最終回を迎える。
コロナ禍で一時休止はあったものの、ほぼ1年間見続けた。大河ドラマの完全視聴は「真田丸」以来だが、久々に重厚なドラマを楽しめたし、何より歴史の勉強になった。
最後に迎える本能寺の変だが、坂本竜馬暗殺と並んで、日本史上最大のミステリーである。何と言っても、本能寺の変が最大の下克上であるばかりでなく、歴史の大きな転換点だったというのが大きい。本能寺の変がなければ、秀吉も家康も天下が取れていなかったかもしれない。ということは、江戸時代も無かったかもしれないわけで、そういう意味では本能寺の変は、まさに日本の未来を揺るがせる大事件だったと言える。
なぜ明智光秀が織田信長に謀反を起こしたかは、諸説がありすぎて玉石混交状態。しかもどれも決め手がない。
主張されている説を挙げてみた。
・怨恨説 信長から暴行を受けたエピソードから、信長に恨みを抱き、謀反を決意した。
・野望説 信長、秀吉、家康と同じく、光秀も天下が欲しくて謀反を起こした。光秀は、信長への怨恨や将来への不安といった消極的要素ではなく、自身の野望実現という積極的意識によって謀反を決意。
・心理不安説 光秀は、信長による過度な実力主義と競争を煽動する家臣団統制に対し、不安を抱き謀反を決意。
・義憤説 怨恨や野望といった私情ではなく、多くの人を死に導いた暴君信長を討伐する、または朝廷を守り、足利幕府の権威を復活させるという大義名分を抱いていた説。
・突発説 秀吉や柴田勝家の地方遠征や、限られた護衛による信長の上洛など、偶然の要素が重なったことにより、謀反を決意。
・足利義昭推戴説 足利義昭を再び将軍に復帰させるために決起した説。
・朝廷黒幕説 朝廷内に反信長勢力があり、その中心となった誠仁親王が陰謀を計画。
・羽柴秀吉黒幕説 秀吉は信長の存在が邪魔となり、光秀を決起へと導いた説。
・斎藤利三主導説 光秀重臣の斎藤利三が精神薄弱の光秀に変わり主導した説。
・徳川家康黒幕説 家康は、嫡男の信康や妻の築山殿を死に追いやった信長への不信感や敵対心を抱いた説。
・家康、光秀共謀説 家康と光秀が共謀して本能寺の変を起こした説。(明智の末裔明智憲三郎氏が主張)
これだけあるともう訳がわからない。研究家たちは過去の資料を丁寧に読み解き、本能寺の変が起きた背景や関わった人の心理状況を読みとろうとしたり、仮設を立てて丹念に検証したのだうろが、「これは」という確証はどれもない。
大河ドラマでは、光秀が信長から折檻を受けたり、家康の饗応役での失態を信長になじられたことが恨みつらみとなって本能寺の変に突き進むかのように描かれている。光秀が夢で巨木を倒す夢を見るシーンがその象徴である。そこからは怨恨説ではとする向きもあるが一方で、鞆の浦にいる将軍足利義昭の元を訪問したり、朝廷の正親町天皇とも信長に内証で密会するなど、幕府や朝廷の再興を願う心情も読み取れる。加えて重臣の佐久間信盛を追放するなど、やりたい放題の信長の態度から、私情ではなく、悪を駆逐する観点からの義憤説ではないかとの見方もある。
歴史の真実はその現場にいた者しかわからない。明智光秀のそばにいて一部始終を見て、そして生き残って誰かに真実を伝えないかぎり闇に葬られるだけである。もしくは決起をした当の本人である明智光秀が自分の思いを何かに書き残さない限り、謀反を起こした意図は誰にもわからない。ましてや明智光秀は、本能寺の変からわずか11日しか生きていないから、書き残したり伝承する暇がない。明智光秀が現代にいれば、本人の日記やブログやツイッターで真意を探るというのはできるのだろうが。
ドラマが終わってしまうのは残念だが、信長の最後を見ることとしよう。