今日の漢字625は「鑑」。印鑑に未来はあるか
今日の漢字は「鑑」。図鑑、年鑑、鑑賞、鑑識、鑑定。
役所を中心に廃止議論が浮上し、肩身の狭い存在になりつつある印鑑。
私は高校の卒業記念で貰った印鑑を、なぜかいまだに大事に使っている。
相当使い込んでいるため、少し欠けている。まるで老いぼれじいさんような不恰好さだ。
今まで何度も引越をし、その度に不要な多くの物が捨てられる運命の中、なぜかこの印鑑は、廃棄の危機を乗り越え、まだこうして会社の机の引き出しの中にいる。
思えば、入社時についた誓約書のみならず、給与口座の開設、旅費を現金でもらった際の受領印、仕事の企画書や残業申請、会社を退職し再雇用される際の同意書など、この印鑑は会社の中でも存在感を示してきた。
まさに会社人生を一緒に過ごし、苦楽を共にしてきた戦友のような存在であり、酸いも甘いも勝手知ったる仲だったような気がする。
しかし毎度朱肉を付けて押印しなければならない面倒さから、最近は簡単な押印用にインク内蔵のシャチハタを使うことが多なくなった。
若手の台頭で出番は激減した彼だが、重要書類に押印する際は必ず彼がどこからともなく現れる。(というか、私が引き出しの中をゴソゴソ漁るのだが)まるで代打の切り札、川藤幸三の登場だ(かなり古い)。
重要書類に彼を投入する時は緊張する。自然と手に力が入る。彼は「どうだ」と言わんばかりに、力強い印影を私の元にさらす。それは、「シャチハタには負けへんで」と強がっているようにも写る。そしてティッシュで先っちょを拭かれた彼は、判子ケースに再びちんまりと入り、またしばらく長い眠りに入る。次の重要書類まで出番がなく、隠居生活に入り、捲土重来を期す。
そんな彼がちょっぴりいとおしいが、もう少し頑張ってくれとエールを送りたい。
これから印鑑はどのような運命になるのだろうか。
以前テレビで、テレワークの中に、印鑑を押すためだけに出社するという馬鹿げたことをしている幹部が紹介されていた。印鑑が無駄の象徴とされ、書類上の印鑑の廃止が進むのも時代の流れかもしれない。反面、それはまたひとつ日本の文化が無くなることにつながる。
ただ、車や住宅の購入時のように大きな買い物をする時は、印鑑に限る。買うという行為を印鑑で具現化できるのがいい。外国人のようにサインだけでは味気ない。しかし印鑑が無くても契約自体は成立するわけで、効率化という意味では、印鑑登録という手続きも昭和の遺産として、いずれは廃止される運命ではないかと思う。