今日の漢字は608は「悠」。悠々自適な老後などあり得ない
今日の漢字は「悠」。悠然、悠長、悠遠、悠久。
定年後の悠々自適な生活は幻想なのか。
川北義則氏の「男は死ぬまで働きなさい」から引用。
・世の中に最初からいい仕事、好きな仕事は存在しない。いい仕事は自分で作り上げるもの。
・仕事をして収入を得て生きる。これは人間にとって厳粛な作業。
・痛みのないところに前進はない。仕事は趣味の延長ではなく、やるからには全力を尽くす。
・不本意な境遇にあっても腐らず、諦めず、悲観せず、給料をもらって勉強させてもらっていると考える。
・悠々自適とは退屈ということ。何も考えていない人。考えることから身を引いた人。
その言葉は人生60年時代の言葉。たとえ富に恵まれたとしても、何も考えない日々が続くと無為に過ごすことになる。そんなことでライフシフト100年時代を過ごせるのか。
・人生100年時代に悠々自適だと言って頭を使わないと、あっという間に認知症になる。
・今より上がない人生は、その時点で終わり。ただ単に坂道を転がり落ちるだけである。
・仕事であれ趣味であれ、「自分はこれをやる」という目標がない限り、隠居をすべきではない。
・いつまでも将来を見据えて今を行動すること。死を迎える瞬間までそれを繰り返す。
「今日という日は残りの人生の最初の一日」(アメリカンビューティ)
「人間志を立てるのに、遅すぎるということはない」(ボールドウィン)
・会社を退職した後も働いてこそ、人生は充実する。
・自分が稼いだお金で生活することが、モチベーションを高める。
・人生100年時代に、「豊かな老後」は単なる幻想に過ぎない。
・自分のため、家族のため、生きるために働く。
・年金に頼るのは危険。人や何かに頼ることは落胆の原因にもなる。
・年金は最初から無いものと思うことがベター。
・頼みの綱は結果的に自分だけということを認識する。
・自分の力で一生歩き続けてこそ意義のある日が送れる。
以上、川北氏の主張は、定年後のんびりしたい世代には頭の痛い話であろう。
結局、世の中の多くの定年退職者が悩むのが、老後の生活がどうなってしまうのかということ。その前提には、年金での生活が大丈夫かということに拠っている。
それは多くの高齢者が年金暮らしで悠々自適の生活を夢見ているからではないか。
60歳、65歳まで働いたのだから、もういいや、あとはゆっくりしたいという人は多いはず。寿命が70代で終わる時代であれば、そのあと10年くらい生きるだけだったので、元も取れたが、今は人生100年時代。退職してからさらに30年という気の遠くなる時間が存在している。30年といえば、22歳で入社して52歳まで勤めるのと同じ期間。それを国から与えられた年金だけで過ごすという発想は無理がある。だから高齢者も働く時代というロジックは当たり前、至極全うである。
私の知り合いで、定年退職し、年金暮らしをしている60代の会社OBがいる。聞けば、家に居ても暇なので、仕事を求めてハローワークに行ったものの、警備員や清掃員などの求人しかなく、「今さら警備員などできるか」と元サラリーマンのプライドが邪魔して求職するのをやめたという。また、別の会社のOBは、何もしないで家にいると、15時くらいから酒を飲み始める。そうすると夕方昼寝してしまい、夜眠れなくなって昼夜が逆転し、生活リズムが狂ってしまうという。
川北氏の主張からは真逆の2人の行動をみていると、やはり勿体ないし、空しい。反面教師として、まずは「悠々自適な老後を夢描く」のではなく、「そもそも悠々自適な老後はない」と常識をアップデートすることから始めたい。