笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字558は「藩」。江戸時代人になり、どこの藩に住みたいか考えた

今日の漢字は「藩」。藩主。「藩」の字は江戸時代の歴史を振り返る時くらいしか、出てこない。

 

  江戸時代、藩は300藩あった。

 

    エア江戸時代人になって住んでみたい藩を考えた。

    そもそも300って藩の数も多すぎる。ネットでざっと300藩を見てみたが、今ひとつよくわからない。

    ミーハーどころしか出てこないのは、いたしかたない。

 

    加賀藩は100万石。米はたくさん収穫できるし、酒もうまそう。能登の魚も豊富だし、文化の重みもあって雅やかな藩に思える。しかし前田家の格式高き大藩だけに、参勤交代などで相当な費用がかかったことだろう。他藩や幕府との付き合いも大変だったと思う。

 

   長州藩土佐藩薩摩藩あたりは有名すぎてつまらない。幕末の歴史にさんざん登場するので、今さらという感じ。

   山口県の人には申し訳ないが、長州藩の都、萩市は遠くて辺鄙。小京都の風情はいいが、江戸から遠すぎる。

 

    江戸から遠いといえば、松前藩も同様。津軽海峡を渡っての参勤交代でもあり、特例的に3年や5年に一度で良かったそう。

 

    青森在住の頃、竜飛岬の三厩(みんまや)という所に行き、津軽海峡を挟んで松前を望んだ。

    強風が吹きすさび、本州の突端で、ここからは海しかない哀愁漂う土地。

    海の向こうには、はるか彼方に北海道。陸地は見えるが、ここから船で荒海を渡ると思えば心が萎える。

 

    松前藩の人が江戸に出立する際は、海峡を超えてようやく陸奥。ここから東北を南下し、江戸に向かう。逆の場合は、三厩に着いて蝦夷地が見えると、ようやく帰ってきたと、俄然勇気が沸いてくるような気がする。

    一体何隻の船が津軽海峡を渡ったのだろうか。参勤交代は3000人規模の人が移動したというから、数百隻の船が並ぶ姿は壮観だったのではあるまいか。

 

    お次は米沢藩上杉鷹山の改革で有名。米沢城が見たくて訪問したことがある。米沢駅から米沢城まで20分ほど、とぼとぼ歩いたが、城までは遠かった。訪問は3月だったがとても寒く、風が強い。奥羽山脈から吹き降ろす風なのか、空っ風で、体が芯から冷えた。住むのが厳しい環境のように感じた次第。ちなみに米沢牛はとても有名だが、駅前にあった店のメニュー表が高すぎて、諦めた。

 

     日向宮崎県の飫肥(おび)藩。なぜ飫肥?と思うが、九州ひとり旅で印象に残っているから。日向の小京都。

    学生時代のひとり旅で九州に行った際、バス停で飫肥行きのバスを待っていると、なぜか車が止まり、優しそうなおじさんがヒッチハイク飫肥まで乗せてくれた。その良い印象のまま、飫肥城跡や武家屋敷を巡り、閑静な佇まいに感動した。だから、たまたまではあるが、人の良さの面から飫肥藩はいいイメージがある。

 

    最後は番外編で斗南藩

    江戸300藩ではなく、戊辰戦争で破れた会津藩が明治2年に再興を許された藩。旧藩士らが、今の青森県むつ市に移住。寒冷地の条件のなか、開拓は過酷を極めたが、2年後には廃藩置県となり、わずか2年の短命な藩であった。

   稔り豊かな会津から、不毛な地むつに移住してきた藩士は一体何を思ったのだろうか。戊辰戦争に破れ、失意の中での再出発は、希望の見えない船出だったのかもしれない。斗南藩に仕えたいとは思えないが、敗者に厳しい仕打ちが施されるのは、いつの時代も同じであり、悲哀を感じるからこそ、気になる存在なのである。

 

    とりとめもなくエア江戸時代の藩に思いを馳せたが、歴史の浅い北海道人としては、地元の各地にわが藩の歴史が残る人々が羨ましい。城跡や仏閣など少なくとも昔の人々の生活の息吹や痕跡はどこかにあるわけで、ちょっとでも思いを馳せるだけで、タイムトリップできるのはいいことである。

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