今日の漢字496は「寿」。北海道西部の町、寿都町は揺れている
今日の漢字は「寿」。寿命、長寿、寿司、恵比寿。
北海道西部で積丹半島の南に寿都町という日本海に面した町がある。
町名を見ると寿に都。ことぶきのある、幸多きみやこ。なんとも雅やかで優美な響きである。
しかしその誉高き町名とは裏腹に、今、寿都町は大きく揺れている。
それは高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のゴミの処分を巡り、施設を造る前の文献調査に応募するかどうか、町を二分して議論が進んでいる。
そもそも町長が、文献調査で国から出る交付金20億円により町の財政を建て直せるとの発想から手を挙げたもの。本当に核のゴミを受け入れていいと思っているのか、それとも交付金をもらった後に、やっぱり辞めたとなるのか、真意はわからない。
しかし核のゴミは数万年に亘って管理しなければならないから、安全性に問題があるとして、反対する町民も多い。最近行われている説明会は反対を表明する人が大多数で、大荒れの様相を呈している。
この様子を見るにつけ、最近はあまり聞かれなくなったが、NIMBYという言葉を思い出した。NOT IN MY BACKYARD つまり私の家の裏庭には作ってほしくないということ。
ゴミ処理場や火葬場などはNIMBYの典型。「必要なのはわかるけど、何もうちの近くでなくても」となる。
利害関係が絡むからなかなか難しい。
ましてや核のゴミとなると、毒性も強いから、いくら地中に埋めるとしても、不安になるだろう。
しかし原子力発電を始めてしまった以上、いつかは決めなければならない問題でもある。ずるずると議論を先伸ばし、結論を出さずにいると、いつかはしっぺ返しがくる。
エネルギー問題だけではなく、国の借金の問題、領土問題や中国・韓国・北朝鮮対応、人口減少と少子化対策、移民問題など、日本の抱える課題は山積。新型コロナウイルスの陰に隠れて顕在化していないだけで、根深い問題が継続している。コロナ終息後に再燃することは必至であるし、新しい総理大臣が日本の将来のグランドデザインをどう描くかというのもある。
「子供たちに明るい未来を」というならば、センシティブな問題を先送りにするのではなく、我々が「自分たちの代で決める」ことを考えていかないと何も解決しない。将来世代が思考停止に陥らないよう、議論の土壌を作らねばならない。
とある関係者から聞いた話だが、ずっと前から議論されているが全く先の見えない、一向に結論の出そうにない政策プロジェクトを担当したお役人は、「どうせ俺の代で決められるわけがない」として、消化試合的に在任期間をやり過ごし、「少しだけ前進した」という証拠を残して後任に引き継ぐという。
前例主義にとらわれる役所の方々に大いなる変革や急な前進は難しい。アベノミクスのように、政治主導である意味強引に進めないと「我々の世代で解決」とはならない。
核のゴミ問題も過疎化に悩む自治体を札束でひっぱたくのではなく、政権の命運を賭けてまでも国主導で取り組まなければ先に進まないと思う。