今日の漢字486は「遍」。愛車遍歴について考える
今日の漢字は「遍」。お遍路、一遍に、普遍、遍在、百万遍(京都)。
免許をとって30年以上になるが、愛車遍歴について語りたい。
車の車種は個人情報につき、メーカーに留めるが、日産3台、トヨタ1台、三菱1台、ホンダ1台と割と万遍無い印象だが、トヨタ某車を15年乗ったので、これが最長。
ファミリー用のワンボックスカーであったから使い勝手は良かった。トヨタはアフターサービスも万全で、安心して乗っていられた。さすが世界のトヨタであった。
一方の日産は申し訳ないがお世辞にもいいイメージがない。最短で3年、最長でも5年と比較的短命に終わったのは、残念ながら乗っていて楽しくない車というのが正直なところであった。
就職した時期はバブル真っ盛りの時代で、車が一種のステイタスシンボル。
外車は勿論、トヨタのソアラ、マークⅡ3兄弟(マークⅡ、クレスタ、チェイサー)、ホンダのプレリュード、日産シルビアが人気の的。特にプレリュードは、ライトがボンネットに格納されていて、ライト点灯時には、パカットせり上がる「リトラクタブルヘッドライト」の構造が格好良く、女心をくすぐるフォルムであった。
私の車はそんな高級車とは縁遠い車種であったがために、デートの切り札とはなりえずに終わったが、あまり車への執着がなかったのも事実である。
30年前は角ばっていていかつい、いわば男らしいシャープな車体デザインであったが、今はほとんどがプリウスやキューブに代表されるように、丸みがかった流線型が人気。いまや1家に2台で女性も運転する時代であるから、自然と可愛いスタイルが人気を集める。
昔は合同コンパの話題といえば必ず車の話が出て、「何に乗ってるの」の女性からの質問が、いわゆる値踏みというやつ。それによって女性は自分が助手席に乗っている姿を想像し、ラグジュアリーカーなら「デートしてもいいかな」と俄然前向きになる。「車は持っていない」などと答えた日には、即アウト。次回以降会えることはまず無いという残酷な時代であった。
会社の独身男性の後輩に何の車に乗っているか聞いたところ、「パッソ」。また可愛い車だこと。「別に遠出もしないし、乗れればいいんです。燃費もいいですし」とあっさり。燃費を気にしなかった昭和世代としては、今は環境価値に重きを置く時代なのだとしみじみ思う。
先日国道を走っていると、えらく車体の低いフェラーリがエンジン音を大きく響かせながらかっ飛ばしていた。同乗していた妻が「今の時代、あんな車の助手席に乗ったって、恥ずかしいだけだわ」。そうか、女性がフェラーリを買える男の経済力を羨望の眼差しで見る時代は終焉を告げ、ガソリンを垂れ流し、環境に無頓着、車でしか自己主張できない根暗な男だと白い眼で見る時代なのである。
日産のCMで「モノより思い出」というフレーズがあったが、車というモノの所有ではなく、車を通じてどんな楽しいことが体験できるかという、思い出づくりのパートナーと捉えていることがライフスタイルの変化を感じる。そういう意味では車も家族の一員ともいえる。確かに愛車遍歴を手繰っても、後部座席で子供が吐いたとか、ガードレールにこすったとか、車が雪に埋まって脱出に大変だったとか、車を通じたトラブルのことをよく覚えている。
そしてその都度、俺の愛車は頑張ってくれたのだと、戦友や相棒のように感じさせる存在だったのかもしれない。
田舎に住んでいると車は必需品であるし、どこに行くのも車を使うから、いわばサンダルのようなもの。それほど身近な存在なのだから、もっと自分の車を愛してあげたいと思う。