笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字468は「踊」。35年前に踊った新宿のディスコのことを思い出す

今日の漢字は「踊」。踊り子、盆踊り、舞踊。

 

    以前、脳の海馬の中に眠っていた記憶がひょんなことから思い出されることを書いたが、このエッセイネタを搾り出す中で出てきた、久しぶりの固有名詞がある。

 

    その名は「カンタベリーハウスギリシャ館」。

    昭和50年代後半に新宿歌舞伎町にあったディスコ。

 

    このエッセイで、ディスコネタで何かないか頭をひねっていた時に、そういえばディスコ初体験は、大学受験で上京した時にダンスフロアで踊った新宿の店だと思い出したのである。

 

     もう何十年も眠っていた記憶から、なぜかこのディスコの名前が「カンタベリーハウスギリシャ館」であったことをしっかり覚えていた。何十年かぶりに脳の海馬からこの名詞が引き出された。ネットで確認したが、ちゃんと記載があった。

 

     当時高校3年生だった私は、共通一次試験(今のセンター試験)に失敗し、国公立大学の受験を諦めざるをえず、背水の陣で東京の私大を受験することになった。

 

    修学旅行以来の2度目の東京。受験校は3つ、一週間の滞在であった。2月の大都会は、北海道と違って雪が無く、暖かい。雪のない2月の風景を生まれて初めて見た。

 

    当時の宿泊先はホテルではなく、公共の宿が中目黒にあり、しかも相部屋。今ならそんな所に宿泊する受験生はいないだろうが、昭和50年代後半はまだそんな宿があった。その相部屋にいた、新潟から上京してきた浪人生の男と仲良くなった。同室なので自然と行動を共にするようになり、試験のない日は一緒に食事した。その彼の名前だが、こちらの方は全く思い出せない。

 

     最後の大学の試験を受けて、明日帰るというその晩、新潟の男から、ご苦労さん会を兼ねてディスコに行こうと誘われた。浪人生はさすがに私よりもちょっとだけ人生経験が豊富なのか情報通で、新宿歌舞伎町にディスコがあるから踊りに行こうと背中を押された。

 

     ディスコ初体験に舞い上がりながらも、受験が終わった解放感もあり、私は彼に誘われるがまま夜の街、歌舞伎町に足を踏み入れた。

 

    「カンタベリーハウスギリシャ館」の館内は大音量のダンスナンバーが流れる中、ダンスフロアーでは男女が楽しげに踊っている。ミラーボールがキラキラして眩い。クラクラしそうである。普段は田舎に住む身で、ススキノさえも行った事もないうぶな私としては、「東京はなんて凄いところなのだ」とびっくりした。

 

    私の存在は全く場違いで、踊りといえばマイムマイムくらいしか踊ったことのない田舎者にとっては、ユーロビートは遥か宇宙から聞こえてくる異次元の曲。当然のことながらダンスフロアの端っこでちんまりとクラゲのように踊っていた。

 

    くだんの新潟人は踊ったり、酒を飲んだりと忙しい。さすがに受験生だけにナンパする行為こそなかったが、せっかく上京したのだから楽しもうとする雰囲気が感じられた。

 

    私は酒も飲めず、踊りにもそのうちついて行けず、一人ボックス席に根が生えた。最初の興奮はどこへやら、疲れがどっと出てきた。

 

    そんな私の雰囲気を察してか新潟人は「俺はまだ試験あるし、このあと牛丼でも食って帰るか」と店をあとにした。

 

     彼とはそれきりで、次の日私は北海道に帰った。お互いに住所と電話番号を交換し、大学入学の際には東京で再会しようと約束した。

 

   しかし私は東京での受験にも失敗し、そのあと札幌で浪人生活となり、彼とは再会を果たすことはできなかった。彼が東京で大学生活を送っていることは年賀状で知ったが、私は返事を書いたかどうか忘れてしまうくらい、それきりだった。

 

    40年近く経ってもディスコの名前は明確に思い出せるのに、彼の名前を思い出せないのも、いかにこの時のディスコ体験が強烈だったのかを物語っている。それだけいろいろな体験において、初体験というのは、本当に刺激に満ちたワクワク感満載の一大イベントなのだと改めて感じた。

 

   50代といってもまだまだ初体験できる対象は山ほどある。臆せずにこれからも好奇心をもってチャレンジしよう。

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雀100まで踊りを忘れず