笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字459は「嫌」。食べ物の好き嫌いについて考える

今日の漢字は「嫌」。嫌煙、嫌悪、機嫌、嫌気がさす、大嫌い。

 

    自慢ではないが、食べ物の好き嫌いはほとんどない。普通は一つや二つ食べられない食材があるものだが、「これは絶対に食べられない」というものはない。比較的嫌いなのは、馬肉とどじょうであるが、全く食べられないということでもない。

    以前ホッキやイカを食べて食当たりしたことがあったが、それでも嫌いになることはなく、今でも普通に食べている。野菜も何でも食べるし、山菜も味は薄いが食べられる。だから温泉などで部屋食を頼んでも、出てきた料理を食べ残すことはほとんどなく、料理はすべて平らげる自信がある。

 

    子供の頃同居していた明治生まれの祖父が、とにかく戦前世代にある「勿体無い」主義者であり、子供の頃から食べ物を残すと祖父から雷が落ちた。そういう厳しい家庭環境で育ったがため、食べ物は大事にするという意識と習慣が自然と身についた。だから家庭の料理でも、コース料理、会席料理でも、お腹が一杯という状況を除いて、嫌いだからといって食べ残したことは一度もなく、妻に悪い思いはさせていないと思う。(逆に「おいしいと言わないわね」といつも怒られるが)

 

    友人の女性は好き嫌いが激しく、まず豚肉が食べられないという。肉嫌いもかわいそうだが、人の趣向をとやかく言う筋合いはない。しかし彼女とランチや居酒屋に行くと、頼む料理やつまみ類にも気を使わなければならず、一瞬メニューのチョイスに困る。「その料理は無理」と言われると、はっきり言って困ってしまう。微妙なところで相手にそういう気の使わせ方をするから、彼女は損をしていると思う。

 

    食べ物に好き嫌いがある人は、人に対しても好き嫌いが激しいとは有名な話である。じゃあ好き嫌いのない私は人間関係でも好き嫌いがないかと言われれば嘘になるから、事の本質を捉えているとは言えないが、あながち間違ってはいないと思う。

   

    確かに食べ物の好き嫌いの激しい別の知人男性は、人の悪口を良く言っていた。

 

    大概居酒屋でこれを頼むかと皆が合意しても「俺はこれ食べられないからいらん」とか「食べられないからお前食べろ」の言葉が出た瞬間、場が白ける。大体居酒屋にあるメニューは、大衆が好んで食べられるあたりさわりのない、最大公約数的な料理がほとんど。決して奇をてらった料理はないはずだが、そういう平均的料理までも「俺は嫌いだ」と一刀両断された段階で、「この人、どこかで人をも嫌っているのでは」と勘ぐってしまう。本人にとっては損しているということに気づかない。

 

    かなり前に知人を介して外国人女性と何人かで会食したが、彼女はベジタリアン。居酒屋でのメニューチョイスにえらく苦労した記憶が蘇る。日本でベジタリアンとして生きていく場合、グループで居酒屋に行く時は、お互いが気を使うことになり、楽しめるのか不安になる。「みんなと一緒」意識の強い日本にあって、個人の食の嗜好を主張していくことは大変だと思う。

 

    自分自身、嫌いなものを好きになる努力をしたことがないから分からないし、別の知人で、子供時代に鶏の賭殺現場を目撃してしまったがために鶏肉が食べられないというトラウマの経験をしたことが原因になっていることもあり、難しい側面はある。

 

    ただ、人生100年、食の楽しみは日々の生活の中で大きなウェイトを占める。残りの人生で何回ご飯がおいしく食べられるかはわからない。日本は世界一の美食大国でもあり、海の幸、山の幸とも豊富な食材に恵まれ、なおかつ日本にはない輸入食材も豊富。いろいろなものが食べられる楽しみがあり、その中で、この食材が入っているから駄目とか、このコース料理にはこれが入っているから無理などというのは勿体ないし、食の楽しみを半分放棄していると思う。

 

    私は幸い好き嫌いがないことで、古今東西さまざま食材を楽しめるから、これは自分の才能だと思っている。食事を楽しめるということは、その食材を普通に食べるだけでなく、大好きにもなれるきっかけにもなり、食に対する興味も大きく広がっていく。日本には食事前には「いただきます」と言って、動植物から命をいただくことを感謝する素晴らしい食習慣がある。 そうした恵みに素直に感謝し、今日も美味しいご飯をいただこう。

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嫌悪感と聞くと、背筋が寒くなる