笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字443は「災」。災害について考える

今日の漢字は「災」。災害、災難、火災、震災、天災、無病息災。

 

     災害大国日本。本当に毎年災害が日本を直撃する。

    昨年千葉を襲った台風の記憶も新しい中、集中豪雨による九州の被害。

    一昨年の北海道胆振東部地震のブラックアウトもある。地震、台風、集中豪雨と災害のない安息の年はない。

 

    異常気象の原因を地球温暖化だと断罪する人はいるが、そもそも世界的に見ても、日本の災害の多さは際立っている。地震はフィリピン、イタリア、チリなどで頻繁に発生するが、それは地球が動いている証拠であり、避けようが無い。47億年の歴史で何度も繰り返す地球の営みを否定するすべはない。

 

    しかも日本は台風というやっかいな自然現象とも付き合っていかねばならない。

    日本人は天気に敏感ではあるが、毎年確実にやってくる台風に対し、いかに被害を少なくしてやり過ごすか、これも有史以来の日本人が直面する永遠の課題である。

 

    台風の進路はほぼ予測されるから、その間は耐え忍ぶことを考えるのだが、最近は低気圧との気象配置の影響で、進路がずれたり速度が遅くなったりで、予測通りにいかず、その都度被害が拡大している。今回の熊本の水害も、梅雨前線が停滞したままで大雨を降らせた。

 

     毎年、気象図で日本のはるか南に発生した台風の目を見るにつけ、地球にぶつかる隕石を爆破しようと宇宙に旅立ったアルマゲドンチームのように、はるか地球上空の衛星からスペシウム光線を台風に放ち、雲散霧消させてほしいと願っている。そんな技術を開発したらノーベル賞は間違いないと思うが。

 

    東日本大震災でも、あれだけの被害を受けたのに、皆落ち着いて秩序を守って配給を受けていたとか、空き家や商店への略奪がほとんど起きなかったということに海外からの賞賛の声があがった。これは、日本人のメンタリティに「仕方が無い」「しょうがない」という諦念の意識が根付いていると主張している人がいる。確かに津波によるあれだけ災害があり、家屋や人々が犠牲になることに、いつまでも執着していると人間的に立ち直れないということもある。砂漠の自然環境から生まれたキリスト教のように、思想の根本は自然を征服するという発想とは真逆で、八百万の神を信仰し、「自然の営みに素直にしたがう。決して自然とは闘わない」「自然とうまく共生していく」というメンタリティを日本人たちは持ってきたから、「ここは諦めて次に行こう」という諦念の観とポジティブ意識を脈々と紡いできたのではないかと思う。

 

    台風や豪雨のたびに堤防が決壊し、河川行政は何をやっているのかとの批判をあびる。大雨も何十年に1度、想定外の雨量などと言い訳をするが、自然は人間の統計とは何ら関係ない。自然は普通に営んでいるだけで、人間が勝手に自らの基準で「観測史上・・」とか決めているにすぎない。いかに自然の猛威が人間の生活に悪影響を及ぼしているかをマスコミは喧伝するが、印象操作である。人間様が偉いわけではない。確かに家を失われた方は気の毒ではあるが、何でも気象条件や温暖化を悪者にする報道には違和感を覚える。文句を言ってもしょうがないが、これだけ毎年大量の雨があちこちで観測され、どこかの川が氾濫する。未然防止と再発防止は難しい問題だが、ダムの造営や河川の改修など、人間の英知を結集し、お金をかけて防いでいくしかないと思う。

 

    北海道では、1980年の大雨で決壊した石狩川の氾濫の教訓から、国は千歳川に放水路を作り、台風などで増水した石狩川の水を太平洋側に流すという壮大な計画を立てた。しかし周辺環境の保護などの世論を背景に中止に追い込まれた。幸い1980年以降、石狩川は氾濫するほどの被害が出ていないが、万が一、洪水となった場合、また同じように放水路設置の議論が再燃するのであろうか。何であの時放水路を作らなかったとの議論になるのか。未来は誰にもわからない。

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「災害は忘れた頃にやってくる」の気持ちをいつも持ちたい