笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字428は「聞」。新聞と新聞社について考える

今日の漢字は「聞」。新聞、醜聞、前代未聞。

 

    東京新聞の記者、望月衣塑子氏の「新聞記者」にこんな記述がある。

「いわゆる特ダネを他紙に抜かれると気分は良くないし、朝刊や夕刊をチェックするときはいつもドキドキする。早朝に携帯電話が鳴るのは、決まって他紙にニュースを抜かれた時だ」。

 

     私の知人の新聞記者も以前同じようなことを言っていた。

    特ダネを抜かれるのは確かに痛いが、まだ「向こうの方が取材力もあるし仕方がないかと諦めがつく。しかし一番怖いのはうちだけスクープ記事がない場合の「特オチ」。他紙にすべてニュースが掲載されているのに、うちだけそれが掲載されていないと、編集局長から雷が落ちる。それが一番怖い」と吐露していた。

  

     我々は大抵自宅で一紙しか読まないから、ニュースが無ければ無いで何とも思わないが、日々記事の掲載で鎬を削る新聞各社は、読者の見えないところでスクープをいかに抜いて、新聞社の価値を高めるか(クオリティを高め、契約に結びつけるか)に血眼になっているように映る。

 

    また、その知人はこんなことも言っていた。記者クラブに詰める記者は、各社から1人か2人配属されていて、その部屋でずっと同じ時間を共有するので、他社の記者とも仲良くなって、和気藹々となる所も一部ある。しかしその記者の中の誰かが密かに取材を進めたネタで朝刊で大スクープなどを打とうものなら、記者クラブは一気に氷つく。スクープを抜かれた他社は、夕刊にそのニュースを追いかけて掲載するために早朝から慌てて取材を始めて殺気立つが、当のスクープを書いた記者は余裕綽綽で昼頃に出勤してくる。その時はその記者と目も合わせられないし、悔しいやら情けなさったらないとも語っていた。

 

    このことには、どうも新聞社などのマスコミと読者の間に違和感があるような気がしてならない。確かに天地や政治をゆるがすような大スクープだと影響力も大きいが、読者の興味がある話題かどうかで注目度も大きく異なる。マスコミは権力のチェック機構であるから、断罪する役目もあるのはわかる。ただ他紙との比較の中で、抜いた抜かれたを競うのは、内向きの発想。それよりも、ニュースや扱う事象に対してどのように新聞社としてアプローチし、読者に的確な情報を与えるかが大事である。

 

    事の本質を深く掘り下げるとか、多面的な問題提起をする、そうしたことがジャーナリズムの役割ではないかと思う。

 

    最近気になるのは、土日祝日の新聞紙面の薄さと内容の無さ。働き方改革なのか、記事の数が少なく、広告だらけという日も少なくない。この点の問題意識が希薄と感じるのは、新聞社がサブスクリプションモデルに胡坐をかいているせいだと思う。要するに毎日宅配で新聞が配られ、月額いくらで契約するが当たり前の構造だということ。これが欧米のように、駅のキオスクやコンビニでしか買えないのなら、日本の土日の新聞のボリュームでは誰も買わない。一旦契約をすれば月額で安定的に購読料が入ってくるから、ニュースが無いときは紙面の多少の手抜きもOKと勘ぐってしまう。

     新聞のメイン講読層の高齢者は騙せても、日々情報洪水の中で、リテラシーを身につけつつある若者は騙せない。新聞社も意識改革していかないと、ネットニュースに負けて本当にオワコンとなる可能性がある。

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