笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字412は「間」。世間の怖さについて考える

今日の漢字は「間」。人間、間隔、間合い、時間、間柄、谷間、居間、夜間、瞬間、間宮林蔵

 

    個人的な見解だが、ツイッター攻撃には、日本独特の「世間」という概念が関係していると思う。

 

    世間研究家の佐藤直樹氏は、日本には欧米のように、社会や個人という概念がなく、世間というルールに縛られていると指摘する。「世間に迷惑をかけた」「世間に恥ずかしい」など、自分が存在するコミュニティの「世間」に存在意義を見いだす。世間に恥ずかしいというのは、自分を知っているコミュニティの中の人を対象に反省しており、決して社会一般の人に対して反省しているわけではない。

 

    欧米はキリスト教の普及により、神と一対一の関係になるから、「人は人、自分は自分」というアイデンティティーを持てる。さらに「人間は法の元に平等」という意識が根底にあるから、IとYOUで会話が成り立つ。大統領に対してもYOUで済む。日本のように、あなた、君、先生、先輩など、人によって使い分けたり、相手によって敬語を使ったりするのは、人は皆、世間で通用するオキテの中で動いているからだという。

 

    世間には会社、町内会、学校、メディア、趣味サークルなど多くが存在。中でも最近の学校では、子供たちの関係がプチ世間化しており、3人以上のグループが世間を形成。何らかの形でその世間からつま弾きにされると、二度とそこに戻れないばかりか、その生徒は居場所がなくなり、最悪の場合は不登校に至る。プチ世間からオミットされないよう、ラインで必死につながりを保つという、ゆゆしき事態になっているそうだ。

 

    みのもんたの息子が逮捕された際もバッシング世間が形成された。本来、青年男子の犯罪に親の責任は関係ない。しかしみのもんたは世間から「けしからん」バッシングを受け、レギュラー番組を降板せざるを得なくなった。これは、家族という世間の中で、その構成員である親が息子と連帯責任を取るのが当然という空気が流れたから。成人した子供の不祥事に親が謝ることに、世間は納得するのである。これが欧米だと個人の問題であるから、親は徹底して子供を守る。それは家族の方が社会より大事であるという発想に基づいている。日本は家族を守るのではなく、世間から批判を浴びないように対処するという大きな違いがある。

 

   また、 世間という括りの中においては、ある程度厳しいことをしたり言ったりすることに寛容になっている気がする。象徴は自粛警察。外出自粛、営業自粛という世間の風潮において、営業を続ける店は世間のオキテに背いているから、注意や制裁をして当たり前。店の人権やその人の生活のことなどは関係ない。「世間がそれを求めているから注意しているのだ。それに従うのは当然」と、世間の空気を背景にニセの正義感を出している。もはや法律を越えて世間が暴走するという危うさを今の日本は抱えている。

 

   木村花さんの件も、テラスハウスでの行動が「ふざけるな」の「バッシング世間」が作り出された。世間の一員と化した正義感溢れるツイッター発信者は、「ふざけるな世間」をより強固なものにしようと攻撃的発信をし、共感者の賛同を得ようとした。集団リンチと同じで、そのネガティブツイートに反論した人が一体どれくらいいたか。これは想像だが、逆に彼女を擁護、応援するツイッターが同じくらいあれば彼女は救われたかもしれない。おそらく彼女に好意的な人たちは「ふざけるな世間」があまりにも強すぎたために、反論や炎上を恐れて書き込めなかったのではないか。彼女を嫌う世間の空気に反抗できず、見てみぬふりをしていたのかもしれない。

 

   世間の存在はそれほど恐ろしいということ。世間の暴走を食い止めるには、そもそもそういう世間に入り込まないか、人は人、自分は自分のアイデンティティーを心の中でもつか、更には同調圧力に屈しない強い考えをもつしかない。もしくは様々な世間に入り込み、多様な人種の中で揉まれるなどの経験が必要だと思う。そういう意味では実質的にリアルな交流のない仮想世間のツイッターは、とても危うい世間であると思われる。

 

   

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