笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字411は「評」。映画の評価について考える

今日の言葉は「評」。評価、品評、評判、批評、論評、寸評、総評。

 

  「評」は、ものごとの良し悪しや価値を判断することを表す。

 

    アマゾンプライムで映画を見まくっているが、最近のマイブームは、自分が見た映画の評価が、ヤフーシネマの平均評価点とどう違うか、比較すること。

 

    その差を比較したところで「だからどう」ということはないが、自分の評価が平均より低い時は、「こんなに高いはずはねーよなー」。逆に自分の評価が平均より高い時は、「わかってないなー」と一人突っ込みを入れて楽しんでいる。だから対象の映画を見る時は、事前にヤフーシネマの評価を一切見ることはなく、見終わったあとに事後確認している。

 

    人は育った環境、積み重ねた齢、自分を取り巻く人間関係、山あり谷ありの経験や失敗から得てきた教訓などにより、映画の見方も十人十色、千差万別。感動する映画もあれば、しっくりこない映画など、あくまで自分の感性という尺度に照らし合わせ、結局自分がどう感じるかの世界である。

 

    ヤフー知恵袋でこんな質問があった。

「私はニューシネマパラダイスを見ました。多くの人が感動したこの映画に私は感動できませんでした。なぜなのでしょう。感性が足りないのでしょうか」

    回答は忘れてしまったが、まじめに答えていた人がいたような気がする。しかし、はっきり言ってそんなの「知らんがな」である。

 

   自分が映画に感動できない理由を人に聞いてどうする?自分の心を読んでくれと人に要求しているのと同じ事である。

    それはその人に感性が足りなかったわけでも何でもなく、ただ感動しなかっただけのこと。それを卑下することは全くないし、「こんなすごい映画に感動しないのはけしからん」と批判する人もおかしい。人それぞれの感じ方に口出しする必要すらない。くだらないと思った映画でも、感動する人は感動する。

 

    私がこの質問に答えるとしたら、「もしあなたが若い年代なら、20年後にもう一度見てほしい。そしてもう一度この映画についてどう感じたか語ってみては」と回答するだろう。

    私はこの「ニューシネマパラダイス」を10年前の40代後半に初めて見た。映画を愛する主人公の幼少から青年、中年にかけての生きざまと、私が昔父親に連れられて映画館に行った思い出や、自らの結婚、子供ができたことなど、自分の歩んできた道がシンクロし、思わず感動して涙が出てきた。ちなみにこの映画は私が今まで見てきた中でもベストスリーに入る良作だと思っている。

 

    しかし先の質問のように、感動しない人もいるわけであるから、人の評価を気にしてもしょうがない。自分が良かった、面白かったであればそれで良いのであって、その時は感動しなかったが、何年か後にもう一度見返すと良かったと思うこともある。

 

    それは、私が勝手に名づけているのだが、人生経験の豊富さと比例して感動のバロメーター値も上がっていくという、「年齢と感情移入度比例の法則」が人間の脳にあると思っているからである。

  だから若い時に映画に感動しなくても、もし何年か後に見返して感動したならば、感情移入度がアップしたわけであり、喜ばしいことである。それはすなわち人間力がアップしたと言い換えられるのではないか。

    自分の感性を磨くのであれば、様々なエンタメに触れたり、本を読んだり、旅をしたり、人の話を聞くなど、いろいろな経験をすることや、多くの映画を見て目を養うのが一番だと思っている。

f:id:laughing-egao:20200618081148j:plain

他人からの評価を気にせずに生きよう