笑顔漢字日記

全ての漢字を笑顔にしたい。そんな思いで常用漢字2136文字を目標にエッセイを書く無謀な北海道在住のアラ還オヤジ

今日の漢字351

今日の漢字は「岬」。納沙布岬、竜飛岬、宗谷岬襟裳岬、潮岬、佐多岬

   岬は陸地が海や湖の中に突き出ているところという意味で、日本語独特の用法とのこと。さらに中国では、日本から逆輸入して岬を使っているというから驚きである。

   「ここに地終わり、海始まる」というタイトルの宮本輝の小説があるが、それはポルトガルのロカ岬を指している。元々はポルトガルの詩人の詩からとったもの。ユーラシア大陸最西端の岬からは、遥か西にアメリカ大陸を臨むのだろうが、このフレーズは、ユーラシア大陸と大西洋というダイナミックな岬というイメージとは裏腹に、叙情的な響きが感じられる。

    この詩のように、岬は心なしか哀愁が漂う。特に海に突き出た岬は、この先はもう海しかないという、人間にとっては住むことも生きることも出来ない海を前にして、無力感と絶望感、寂寥感にさいなまれる存在といえる。

 

   古代のパイオニアは、新天地を求めて岬から舟に乗り、まだ見ず知らずの島や土地を目指したかもしれないが、行く先に何があるかわかっている現代においては、そんなチャレンジには思いも及ばない。

   現代人は、そこから新天地を目指すでもなく、観光で立ち寄った岬で、遠くに島などを発見しようものなら、ラッキーと叫び、強風の吹きすさぶ中で写真を撮り、「あ~寒み~し風強いから早く車に入るべ」などといってそそくさと立ち去るパターンがありきたりの光景として見られる。(これは宗谷岬のこと。運が良ければサハリンが見えるが、あまりに風が強くて長時間はいられない)

 

    その現実感とは裏腹に、岬の儚さを敢えて醸し出そうとしているのが演歌の世界。

   「ご覧あれが竜飛岬北の外れと~、見知らぬ人が指を指す~」の津軽海峡冬景色by石川さゆり

「襟裳の春は~、何もない春です~」の襟裳岬by森進一。

「納沙布は~人情岬い~恋に破れ行くあてのない~女のための岬さ~」一風変わったとんねるずの人情岬。

    どこか悲哀を感じさせる歌詞が多いのは、岬という存在が、どん詰まり、ここが最後という淋しく切ない感情を擬人化しているかのようであり、失恋した女性や失意の男性が立つシチュエーションが岬には似合う。

    しかしそれは、「北の岬」ゆえ。これが南国の岬だとこうはいかない。

    九州最南端の佐多岬に行ったことがあるが、明るい南国の光を受け、暖かい風に吹かれながら遠く東シナ海屋久島を眺めた。

   南を向く方向は、地球的には明るく暖かい赤道の方を向いているため、何となくポジティブな気分にさせる。強風にもどことなく希望の光があり、寒さを感じさせない。ましてや寂寥感など皆無。

     四字熟語で例えれば、「一陽来復」。ここから船を漕ぎ出して南国に一発行ってやろうかという気持ちにさせる。

   しかし北の岬は正反対。

   強風に吹きすさぶ中、冷たい海に漕ぎ出して寒い北に向かうのは勇気がいる。宗谷岬の果てはサハリン、納沙布岬の果ては北方領土と思うと、気分が萎えてくる。

    四字熟語で言えば、「疾風怒濤」、「前途多難」、「艱難辛苦」。そんな言葉が似合う。

    

    火曜サスペンス劇場でも、追い詰められた犯人は、南に逃げずに、北に逃げる。

    失恋した女性は、傷ついた心を癒すために、南に行かず北に向けて旅立つ。

    北の岬は、そういう人を無条件で受け入れる場所。これ以上の不幸、不運、最悪な状態はないということを北の岬は伝えてくれる。だからこそ、人々はそこに行って自らの不運を呪いつつも、これ以上の不運はないと開き直り、再起を期せるのである。北の岬とは、ある意味懐の深い、いわば母のように暖かく迎え入れてくれる存在なのかもしれない。

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